『禅への鍵』を読む -お茶があなたですし、あなたがお茶なのです-

マインドフルネスの立役者による禅の入門書

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ベトナムの禅僧ティック・ナット・ハン

禅への鍵 』は良い本だった。まず白くてシンプルな装丁が良い。タイトルが良い。作者のティック・ナット・ハンが良い。翻訳者の藤田一照が良い。そして読者の私が良い。これで面白くないはずがない。

ティック・ナット・ハンはベトナムの禅僧だ。禅から仏教全体を見通した視界がとてもクリアで、この1冊だけで多くの学びがあった。そしてベトナム戦争や世界の危機的状況に活かせるものでなければ仏教には意味がないという「実践する仏教 Engaged Buddhism」への強い意思。だからこそ端的な言葉で深い思想を語れるのだろう。

しかしこの本は本当に深いものが分かりやすく書いてある。こんな難しい思想が染み入るように伝わってくるのは、作者のチカラだけではない。翻訳がうまいのだ。一章を読んで感動し訳者を見返すと藤田一照だったので納得した。彼は日本で大乗仏教を修行した後、西洋で布教活動を行い、現在は形骸化した日本の仏教を新しい生きた仏教にしようとしている僧で『アップデートする仏教 (幻冬舎新書)』『〈仏教3.0〉を哲学する』の共著者である。

 

マインドフルネスについて

マインドフルネス。Googleが取り上げてから日本でもよく聞くようになったこの言葉は『アップデートする仏教』によれば、1980〜90年代のアメリカで爆発的に普及した。その中心にいたのがティック・ナット・ハンで、アメリカの書店には彼の本が沢山置かれているのだそうだ。

私はこれまでマインドフルネスを謳った本(Googleの事例や西洋の大学教授の書いたもの)を何冊か読んだが「まあ、こうなるんだろうなあ」というやや残念な内容だった。集中力がアップする、メンタル不全が治る、と一種のテクニックとして語られているところに決定的に違和感があるのだ。

効果を狙った手法に拘泥している限り、手放す気づきであるサティ(マインドフルネス)にはならないのではないだろうか、それは藤田一照のいう仏教2.0なのではないか、と。

しかしこの『禅への鍵』を読んでわかった。西洋には西洋の文化に合わせた禅があるべきなのだ。

月を示すために指を使うのですが、その際決して指と月を混同してはなりません。指は月ではないのですから。「巧みな方法」とは、人々を目覚めへと導くためにつくりだされた手段のことです。(中略)偉大な師たちは仏教でいう「方便智」、つまり相手の性格やその時々の状況に応じた方法を、そのつど創造し駆使する能力をもっています。(禅への鍵 p33-34)

マインドフルネスという言葉自体も、指し示した指であって月そのものではない、つまり西洋の人々へ向けた方便なのである。

 

公案(禅師の言葉)

公案は、相手の土台を根こそぎ崩すことでマインドフルネス(気づき)へと導いてくれる禅の師の言葉だ。とても面白いので、いくつか『禅への鍵』から抜き出しておこう。あなたを悟入させてくれる言葉はあるだろうか?

経験をしているその瞬間には、あなたとお茶の味わいはひとつです。そこになんの区別もありません。お茶があなたですし、あなたがお茶なのです。(同 p75)

飢え、乾き、暑さ、寒さを感じることはきわめて自然だ
ありもしない問題をわざわざどうしてつくるのだ(同 p169)

なんとめちゃくちゃなことを言う猿だ(同 p173)

慈しみ深い者はこれをみて慈悲だと言う。智慧のある者はこれをみて智慧だと言う(同 p178)

禅は禅にあらず、これを禅という(同 p197)

さて、次は『ブッダの〈気づき〉の瞑想』を読んでみよう。

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