仕事のやりがいの低下
前回は、積極的な満足は仕事自体から生まれると述べたが、小野泉・古野庸一「「いい会社」とは何か
」によると、日本では「仕事のやりがい」が年々下がっているという(下図参照)。

やりがい、とは何だろうか?
やりがい、と、やりやすさ、は違う。働きがい、と、働きやすさ、も違う。「甲斐(がい・かい)」とは元々はボートを漕ぐときに手に持つオールのことである。前に進むときの抵抗感あってこそ、甲斐なのだ。
前に進まなくては、やりがいは感じられない。しかし楽々できてしまっても、やりがいにはならない。満足とはまた異なる概念だということが分かるだろう。
さて、その「仕事のやりがい」が下がっている。理由は5つだと小野泉・古野庸一は言う。
1.わかりやすい目標・希望の喪失
「良い大学に入って、良い会社に入れば、毎年給与は上がり、仕事の幅も広がり、成長し、 昇進していく」というわかりやすい成功の方程式が、社会全体として通じなくなってきた。
2000年代初めから一人ひとりの人生を背負いきれなくなった企業は「キャリアは自分で考えて欲しい」とメッセージしているが、多くの人がうまく対応できていない(キャリアの責任については、テーマ6.人材開発で考えていきたい)。
こうすれば前に進む、というやり方が見えなくなってきた、ということだろう。
2.会社への信頼の喪失
日本企業の経営層への信頼感は下がり続けている(下図参照)。 報酬の多い少ないや格差の問題ではなく、会社が一人ひとりと向き合ってこ なかったことが原因か。信頼していない人に従っているという行為は、自尊心を傷つける。人々の不安やストレスを増幅させる。
このまま乗って、一緒に前に進みたいと思える船ではない、ということか。
3.非正規社員の増加
非正規社員は 1984年15.3%から2008年34.1% と増加している。一般的に非正規社員のやりがいは正規社員に比べて低い。
甲斐(手応え)のある仕事を非正規社員の方々はできにくい状況なのだろうか(そもそも非正規という呼び名自体も失礼である)。
4.仕事が生活に占める割合の低下
1980年代~2000年代にかけて生活全体の満足度は、あまり変化していない。仕事に多くを期待していない、やりがいを求めていない層が増加しているのではないか。
仕事ではないところに、やりがいを求めている。それはそれで健全なことかも知れない。
5.人の欲求水準・願望水準の高まり
欲求水準・願望水準が高まり、仕事のやりがいは相対的に低下している。物質的な豊かさは万人にわかりやすいが、心の豊かさは多様である。仕事においても金銭的なものよりも、承認、帰属意識、自己効力感、成長感といった情緒的なものを求めるようになった。
まさに、外的報酬と内的報酬である。
もっと面白いと思える、甲斐ある仕事はどうすればできるのだろう?
さあ、次回はこれから先の「仕事のやりがい」について考えてみたい。

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