空とは、縁起とは何か?
大乗仏教の祖「龍樹」
『ゆかいな仏教』によれば、仏教にはドグマ(教義)がない。じゃあ何があるのか。
一切が空。
そう、仏教には『空(くう)』があるのだ。いま日本で普及している大乗仏教、その祖といわれる龍樹(ナーガールジュナ)は空をどう考えていたのだろうか。
無敵の批判「破邪の論法」
大乗仏教を最初に哲学的・理論的に位置付けたのが龍樹の「中論」である。「中論」は説一切有部(いわゆる小乗仏教)をはじめとする当時成立していた思想体系を批判する論争の書であった。
その大きな特徴は、自らの主張をしないことだ。それを破邪の論法と呼ぶ。
わたくしには主張は存在しない。まさにそのゆえに、わたくしには論理的欠陥が存在しない(中村元『龍樹』p129)
そう、これは無敵のやり方だ。しかし他者を批判するだけでは仕方ないだろう。いったい何をやりたいのか?
すべては関係性の上になりたつ「縁起」
龍樹が破邪の論法で他の思想体系を否定してまでやりたかったのは「縁起」を明らかにすることだった。縁起とは、すべての事象は関係性の上に成り立っている、という考え方だ。
その最後の目的は、もろもろの事象が互いに相互依存または相互限定において成立(相因待)していることを明らかにしようとするのである。
すなわち、一つのものと他のものとは互いに相関関係をなして存在するから、もしもその相関関係を取りさるならば、何ら絶対的な、独立なものを認めることはできない、というのである。(中略)この〈相因待せること〉を別の語で「縁起」とよんでいる。(同p155)
関係性なしにそれ自体は存在しない「空」
関係性を取り除いた、絶対的に独立したものは存在しないという。そう、関係性こそが主体で、真ん中は空なのだ。
空性とは縁起の意味であるという。(同p234)
龍樹の『空』とは、物事はすべて関係性の上になりたっていて(縁起)、そのもの自体というものはない、ということのようだ。
そう考えると有名な般若心経の「色即是空」は「物質(色)は他の物質との関係性のみがあり、それ自体はない(無自性)」ということになる。
心理学者河合隼雄は、日本人は独立した自我ではなく他者との関係性を求める、と言っていた。そしてその根幹には仏教の影響があると。それは縁起であり空なのかも知れない。
日本で個人の力が強いリーダーが活躍し難いのも、切り分けた職務等級ではなく有機的な人基準の職能等級を好むのも、空の思想が根幹にあるからなのだろうか。
そして、人と人の間にあるものが人間、その間にあるものを強くするというリクルート三輪トレーナーの教えも、この龍樹の縁起に直結している。「『人間』とは相互関係性の中で成立するもの。だから他者との交歓、交換、交感こそが生きていること。」
読書感想
「龍樹 (講談社学術文庫)」は難解でわからない前提で読み始めたのだが、中村元の文章が練られておりわかりやすいこと、河合隼雄の『ユング心理学と仏教』で思想を少し知っていたことなどが伴って、なんだかスラスラと読めてしまった。これぞ読書の悦楽だなあ。
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